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イシクラの歴史

尾久・元郷時代(昭和11年〜28年)創業

昭和11年、東京都荒川区尾久の一角に「石倉コロタイプ印刷所」が開業。石倉武雄は時に28才。イシクラの歴史は、ここから始まる。大戦後の混乱期を乗り越え、川口市元郷で「精巧堂コロタイプ印刷所」の看板を掲げた。だが、商売道具である印刷機がなく、これを確保することが最初の仕事でした。中古の手刷印刷機と戦災で焼けただれた動力印刷機を見つけた。やっと自社家屋内で製版、印刷の本来業務が行えるようになった。戦前から取引のあった台紙業者にも営業再開をを知らせ、受・発注が始まった。印刷工場も軌道に乗り、受注の量も増えていき、新しい動力コロタイプ印刷機2台が導入された。

創業者 石倉武雄
創業者 石倉武雄

元郷〜川口元町時代(昭和28年〜36年)個人から組織へ

昭和28年、業績の順調な伸展にともない、工場は改装、増築を重ね、新規の社員採用も始まる。印刷所は、家族経営の域を超え、これを機に組織を法人化し、社名を「有限会社石倉光芸社」として新しいスタートを切る。存分に能力を発揮できる器を求め、昭和30年、元郷から工場を川口本町に移転した。意欲的に事業の拡大を進め、従業員は30名を超え、コロタイプ印刷機も4台を稼動させる。時代は高度成長時代を迎え、昭和32年に石倉光芸社にとっては初めての、入稿から製本までの一貫生産体制が誕生する。移転後わずか4年にして着実な発展を遂げ、昭和34年4月、資本金100万円の「株式会社石倉光芸社」が誕生した。コロタイプによるカラー印刷もこの頃から徐々に始まる。

当時の社屋写真
表から見ると平屋建て,裏から見ると2階建てに見えた

鳩ヶ谷時代(昭和36年〜58年)一貫生産体制の完成

卒業アルバムの完成された一貫生産体制を望み、昭和36年12月、川口本町から工場を鳩ヶ谷市坂下町に移転する。昭和30年代後半、鳩ヶ谷の石倉光芸社は、規模的にも、技術的にも関東ではトップクラスになる。独立した製本工場の完成とともに、製本業務も本格的に稼動した。昭和36年台紙部、発足。昭和41年7月12日、社長石倉武雄(創業者)は不帰の人となる。享年59歳。武雄夫人、石倉一美は、武雄の夢を引き継ぎ、第2代社長となる。昭和40年代も半ば、卒業アルバムのカラー化の要望が高まり、コロタイプ印刷からオフセット印刷への移行を迫られる。昭和54年、カラースキャナー機の導入。昭和57年、石倉一雄は、全社に向けて企業スローガン「変わるイシクラ」を提唱した。昭和58年9月下旬の岩槻移転とともに、すべてに新しい企業として出発するため、「株式会社石倉光芸社」を「株式会社イシクラ」と社名変更、会社のロゴマークも決定した。昭和58年5月、ハイデルベルグ社製102V菊全判4色機を導入する。

印刷現場
印刷現場

岩槻時代(58年〜現在)

「変わるイシクラ」という全社員の夢を担って、昭和58年9月、岩槻市(現在:岩槻区)古ヶ場に「株式会社イシクラ」は誕生する。創業者、石倉武雄の息子、石倉一雄は、第3代社長として新生イシクラをスタートさせる。昭和60年の夏、新型コンピュータとバーコードシステムを導入。「進行管理表」が考案された。めまぐるしく変わる納期への迅速な対応を迫られていた当社にとって、大変な朗報であった。品質面での一層の向上もめざすために、昭和60年、軽印刷機を導入。昭和61年、ハイデルベルグ社製の菊半裁4色機を導入。アルバムの受注増、一般商業印刷部門の立ち上げ、大宮営業所・東海支社の開設、プリンティングセンターの設立など、業務の拡大・拠点の拡充とともに、DTP化に早くから取り組む。平成12年に専務石倉博幸が、DTPフローを導入して会社を一気に進化させる。平成16年、石倉博幸が、第4代社長に就任。新たな経営理念を掲げ全社的な改革を推進。現在に至る。

現在の社屋
現在の社屋

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